世界にはさまざまな言語があり、言語によって発音のクセも違います。
それが作曲家や演奏家の音作りにも関係していることはよくあり、特に歌などは歌詞の扱いで大きな差が出たりもしますし、楽器の鳴らし方にもその影響は表れるものですが、今回はその少し手前の話、人名の綴りと読み方について書きます。
2025~26年度のディスカバリー・シリーズ冒頭を飾る6月の演奏会では、ルーマニア出身の作曲家ジョルジュ・エネスコの作品2曲がとりあげられます。
彼は演奏家・名教師としての名声もあり、日本でも昔からよく知られていましたが、カタカナ表記は必ずしも一定していません。 当人の母語であるルーマニア語の音に寄せれば「ジェオルジェ・エネスク」。近年は固有名詞を原語の発音にできるだけ寄せてカタカナ化した方がよいとの考えが広く浸透しており(その方が当事者の自意識尊重に繋がることが多いのは確かです)、彼の名もこの表記が確実に増えてきました。

1956年ルーマニアで発行された作曲家生誕75周年記念切手。上部にルーマニア語表記でGeorge Enescuとある。
しかし生前の当人を知っている人も多かった20世紀には、このルーマニア語式の表記より、むしろ「ジョルジュ・エネスコ」という日本語表記が多く使われていました。これはどういうことでしょう?

それぞれ1905年と1908年にパリで刊行された《八重奏曲》と《協奏的小品》の初版譜。フランス語式の綴りでGeorges Enescoと表記

6月の演奏会でとりあげられる2曲の初版譜を見てみると、ルーマニア語本来の綴りであるGeorge Enescuではなく、Georges Enescoという表記になっています。楽譜がパリの出版社から刊行されたため、ルーマニア語人名がフランス語流に直されているのです。
こうしたことは、話者人口が必ずしも多いとは言えない言語の名前では非常によく起こります。
たとえば、複数のアクセント記号を使い分けなくては音の違いを表現できないポーランド語の名前や地名は、英語報道など他言語の文中でアクセント記号が省略されてしまい、日本語でもそれに準じて本来の発音とは違うカタカナが定着してしまう例がよく見られます。特に有名なのは、冷戦末期以降の同国民主化に大きく貢献した政治家レフ・ワレサ。Lech Wałęsaの綴りからアクセントを抜いた音をローマ字読みした結果ですが、そうせずポーランド語式に書けば本来はレフ・ヴァウェンサです。Wはドイツ語と同じvの音なのはともかく、ポーランド語のLは斜線が入るとワの音になり、Eも髭のような記号がつくと鼻母音になるため、これらを省略すると全く違う音になってしまいます。


また史上最も有名なオランダ人の一人である画家ゴッホの名は、オランダ語の音に準じた表記にするならホッホまたはホホあたりが妥当です。ただ、オランダ語のgの音はカタカナでは再現が難しく、やむなくハヒフヘホにしているのが実情。カタカナで表記しきれない音がオランダ語には子音・母音とも多いのはオランダ文化専門家たちもよく承知しているので、Goghの綴りを英語・フランス語風に読んで定着したゴッホという表記は半ば諦めと共に広く使われています。同じくカタカナで表現しようのないチェコ語のřの音を含むDvořákの名に対し、本来の音にはない「ル」が入った「ドヴォルザーク」表記が定着しているのと同じ状況と言えるでしょう。

12/14のディスカバリー・シリーズ演奏曲目の一つ、弦楽六重奏曲初版譜の表題ページ。
ドイツで出版されたもののアクセント記号がきちんと記されている。
この通り、外国語の発音はカタカナに直しきれないことも多いのですが、ことルーマニア語に限って言えば、その点では問題が比較的少ない方かもしれません。 ロシア語やポーランド語、チェコ語などと同じスラヴ系言語を話す人が多いバルカン半島の国ルーマニアにあって、ルーマニア語は古代ローマのラテン語に源流をもつ言語です。そのためイタリア語やスペイン語がわかる方なら、ルーマニア語のクセを知ればなんとなく字面から意味を類推できることも少なくありません。母音が連続しても別々に分けて発音するなど、音の面でも日本語話者には比較的認識しやすい言語ではあります。
それでもフランス語に準じた表記が根強く使われてきた背景には、ルーマニア人が国際的に活動する時の慣習が影響していたようで、このことは彼の作曲活動や作品解釈にも少なからず関わってきます。
トルコのイスタンブルに首都をおくオスマン帝国からルーマニアが独立したのは1877年、エネスコが生まれる数年前のこと。それまでルーマニア人たちは、広く国際的に使われていた言語のうち母語に最も近く習得しやすいフランス語を足掛かりに、西のヨーロッパ各地で活路を見出す人が少なくありませんでした(20世紀の冷戦下でも、ルーマニアでは英語よりフランス語がよく通じたそうです)。その際、ルーマニア人名に多い語尾の-uはフランス語だとユの音で読まれてしまうため、多くのルーマニア人がこれを-oに綴り変える慣習が定着していったのです。エネスコ以外の例でいえば、劇作家のウジェーヌ・イオネスコ(本名はエウジェン・イオネスクEugen Ionescu)や外交と文筆で知られた多言語話者ビベスコ公妃(ビベスク Bibescu)、ベルギーで活躍したヴァイオリン奏者ローラ・ボベスコ(ローラ・ボベスク Lola Bobescu)などがその形で国際的に有名になっています。またキリスト教徒の名前は言語ごとに相当する綴りと発音が存在するため、聖ゲオルギウスに由来する彼の名はフランス語であればジョルジュになります。そうしたわけで、エネスコは国際的な場ではフランス語流のGeorges Enescoという綴りを用い、自分の名前をエネスコとフランス語準拠の発音で呼ばれることを受け入れていたのでした。
とはいえ、今は国際言語だけで世界が成り立っているわけではない、無数の言語それぞれの世界で育まれた文化を尊重しようとする人が多い時代です。
ルーマニア語の世界で生まれた作曲家が、ルーマニア社会に昔から根づいていた音感や風習を心に宿して生きてゆく中、そうではない人々に交じって国際舞台でどう自己表現していたのか――そう考えると、エネスコはやはりエネスクと書いておく方がよいのかもしれません。
1900年頃のパリで花開いた諸文化混交の世界で、ドビュッシーやラヴェルと肩を並べて活躍したエネスコの音楽を聴くか。それとも、開かれた世界に出ながらも故郷ルーマニアを忘れなかったエネスクの一貫性をそこに見ようとするか。こうした点にも、作品をどう解釈する(聴く)かに繋がる要素が多分に含まれていると思えば、曲に接する上で作曲家が生きた背景を知っておくことは大きいのだな……と改めて実感する次第です。( 白沢 達生)