実力ある演奏家たちが室内楽の魅力を追求する ディスカバリーシリーズ。7/1めぐろパーシモン小ホールでの演奏会をより深く味わうヒントをお届けします。先日のメンデルスゾーン連続ツイート第1弾に続き、ドビュッシーの弦楽四重奏曲についてもお送りしてまいります!
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ドビュッシーの《弦楽四重奏曲》をより深く知る五つのキーワード
🎻フランスの弦楽四重奏曲
🎻循環形式
🎻教会旋法
🎻ドビュッシー唯一の出版番号付作品
🎻気になる同時代の作曲家たち
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今回はドビュッシーの弦楽四重奏曲をより深く知るキーワードの一つ目「フランスの弦楽四重奏曲」についてお送りします。
「フランスの弦楽四重奏曲」と聞いて、皆さんはどんな作品をイメージするでしょう?今回7/1に演奏されるドビュッシーの作品やラヴェルの名作を想起する方は多いかもしれません。彼らより少し年上の作曲家ではフォーレやショーソンなども弦楽四重奏曲を書いていますね。
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より新しい世代ではミヨーやデュティユーなどが思い浮かぶかもしれません。その反面、モーツァルトやベートーヴェン、ショパンやシューマンなどが活躍した初期ロマン派以前となると、その頃のフランスの弦楽四重奏曲は(誰が書いていたのか?も含め)真っ先には思いつかないかもしれません。
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実は、フランスでは長いあいだ大観衆を前に劇場で披露されるオペラこそ音楽の頂点と考えられ、室内楽は話題になりにくかったのです。弦楽四重奏も楽しまれてはいましたが、ソナタ形式が使われた本格的な室内楽曲は19世紀半ばまで「ドイツ語圏のもの」と認識されていたようです。
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状況が変わったのは1870年代以降。プロイセン軍のパリ占領で敗退を喫した普仏戦争の後、「フランスならではの芸術を」と意気込みを新たにした音楽家たちがフランス国民音楽協会を設立、本格的な管弦楽曲や室内楽曲をフランスでも振興してゆこうという動きが出てきました。
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サン=サーンス(1835~1921)やフランク(1822~1890)らを中心に発足したフランス国民音楽協会は、積極的に室内楽演奏会を開催、新作作曲を奨励します。これにより、19世紀半ば以降生まれのフランス人作曲家たちの中にも充実した室内楽曲の作曲に意欲を燃やす人が増えてきました。
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フランスの弦楽四重奏曲の歴史は前史まで見ると複雑な経緯もありますが、ドビュッシーの弦楽四重奏曲が書かれた頃にフランス国民音楽協会の活動が大きな意味を持っていたのは確かと言えるでしょう。
7/1に向け、解説ツイートは今後も続けてゆく予定です。ご期待くださいませ!
《画像》
1 セーヌ河の支流マルヌの河畔に佇むドビュッシー(1895年頃、撮影者不明)(c)Lebrecht Music Arts / Bridgeman Images
2 ドビュッシー《弦楽四重奏曲“第1番”》パリ・デュラン社初版パート譜の表題部分
3 イザイ四重奏団の演奏会(詳細不明)左からウジェーヌ・イザイ(第1ヴァイオリン)、ジョゼフ・ジャコブ(チェロ)、レオン・ファン・ハウト(ヴィオラ)、ジョゼフ・ジャコブ(第2ヴァイオリン)(c)Lebrecht Music Arts / Bridgeman Images
4 フランス国民音楽協会のロゴデザイン
5 気になる4人の作曲家(詳細は後日の記事〔連続ツイート〕にて)
6 ベルナール・フルニエ&ロズリーヌ・カサップ=リーフェンシュタル著『弦楽四重奏の歴史 2:1870年から両大戦間まで』(2004年パリFayard社刊)表紙
7 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shadowman-3.jpg (c)w:User:Timitzer
8 ギュスターヴ・クールベの戯画(レオンス・プティ画、『ル・アヌトン』1867年6月13日号表紙)
9 エドガル・ドガ画『オペラ座のオーケストラ』(1867年頃)パリ、オルセー美術館所蔵
10 重火器を積み込むプロイセン軍、パリ近郊ノジャン=シュル=マルヌ駅(ジュール・フェラ画、ジュール・クラルティ『革新の歴史1870~71年』〔1874年パリLibrairie Polo社刊〕挿画)
11 ジュール・アレクサンドル・グリュン画『室内楽の集い』(1885~90年頃)個人蔵
12 ドビュッシー《弦楽四重奏曲“第1番”》初版譜版元デュラン社によるピアノ連弾編曲版表紙より