京都国立博物館 開館120周年記念に臨んで

 ~ 対談:京都国立博物館 館長 佐々木丞平氏
       Music Dialogue アーティスティック・ディレクター 大山平一郎 ~



 京都国立博物館でのMusic Dialogue in Kyoto コンサートを間近に控え、京都国立博物館館長の佐々木丞平氏と、Music Dialogueアーティスティック・ディレクターの大山平一郎が対談を行いました。なぜいま博物館と音楽なのか、コンサートの聴きどころ、そして美術と音楽の意外な関係性まで、その道を極めた2人が縦横に語り尽くします。

(2017年5月2日 京都国立博物館にて収録)




博物館と音楽のコラボレーション

- 館長はもともと…

佐々木:

美術の歴史を研究していました。研究者として大学の仕事を終えた後に博物館へ来ないかということで今の立場にいます。最初ここに来て、博物館には音が無いなということに気付きました。確かに博物館は文化財を静かに鑑賞する場所ではあるけれど、意識の隅に音の世界が同時に存在するとより大きな広がりがあるはずだと思った。だからどうしても音を博物館に持ち込みたいな、と。

佐々木 丞平:京都国立博物館 館長。専門は日本近世絵画史、特に18世紀の文人画派、円山四条派の研究。日本の絵画史の流れを大きく変えた人物として、中世では雪舟、近世では応挙が考えられるが、今後はこの二人に焦点を当て、時代を大きく変える画期の要素を明確にしたい。また近年は文化財行政全般についても強い関心を持っている。




大山:

意図的に、展示されているものと、音楽を結びつけた企画というのはされていない?

佐々木:

それは全くやっていません。いわゆる西洋美術には、音楽と直接かかわりのある作品というのは確かに存在しますが、日本の文化財に関しては直接音楽とかかわるものが、まず皆無と言っていいくらいです。ただ見て音楽の響きと同調するとか、あるいはそれを感じるとかっていう鑑賞の仕方はあるでしょうが、しかしそのものがうまれてくる背景に、音楽が直接は関わっていないものが大半です。

大山:

展示されているものの空間で、一緒に弾かせていただくことも、なかなか日本ではない。

佐々木:

そうですよね。

大山:

これがもう、本当に、なんとかならないのかなって(いうくらいない)。

佐々木:

私は展示物があるところでも、いつか演奏会をしたいなあと思っています。ただ、日本の場合はそのような習慣がなく、抵抗感がある。西洋の美術館や博物館では、展示空間で、たとえば食事をするとかパーティーをするっていうのは当たり前です。しかし日本では、とてもじゃない、という空気があるのです。確かに日本の文化財というのは紙や絹、あるいは木でできていますから、それらに食事のにおいが残ってしまって虫がやってきて…という問題があり、食べ物に対しては確かに非常に敏感にならざるをえない。しかし音に関しては害が無いでしょう。音が響いて何か物が壊れるとか、そんなことは考えられませんからね。だから音に関しては、徐々に今の既成概念が溶けていくとは思うのですが。





歴史を変えた芸術家

- 今回演奏されるのはメンデルスゾーンとブラームスです。

大山:

クラシック音楽の始まりをバッハとした場合、メンデルスゾーンはクラシック音楽の歴史の中でちょうど真ん中あたりに位置していて、彼とシューマンが、改めてバッハを研究し、バッハ全集ができた。2人ともどちらかというと短命だったわけですが、そのシューマンの意思を継いだのがブラームスです。

大山 平一郎:Music Dialogueアーティスティック・ディレクター。英国のギルドホール音楽学校を卒業。1979 年にロサンゼルス交響楽団の首席ヴィオラ奏者に任命された後、同楽団の副指揮者に任命される。カリフォルニア大学教授、ラホイヤ・サマーフェスト、サンタフェ室内楽音楽祭、九州交響楽団の常任指揮者、大阪交響楽団の音楽顧問・首席指揮者等を歴任。福岡市文化賞、文部科学大臣賞(芸術祭優秀賞)を受賞。




佐々木:

なるほど。

大山:

なので、ここの2人、3人がいなくては本当にクラシックの歴史はどうなっていたかわからない。非常に重要な人物です。

- 絵画の歴史の中で同じような…つまりシューマンとかメンデルスゾーンのような役割を果たしたような人もいらっしゃるのではないですか?

佐々木:

もちろんいます。1人はご存知の通り、雪舟です。それから後の18世紀へ行きまして円山応挙という人がいます。そのような人が現れるときには、それまでと違った新しい方向が生まれるので、多様化していきます。それが結局は文化の豊かさにつながるわけですから、やはりそのような人がいないことには豊かにはなりません。

大山:

最も心に宿っている画家はどなたですか?

佐々木:

18世紀には先ほどの応挙とは違ったもう一つの流派として「文人画」というのがあって、彼らは写実やリアリズムというよりは、むしろ心の中の表現を非常に重視します。ただ、応挙をプロとすれば、文人はいわば素人。もともと高級官僚で、むしろ政治をやっていくような人たちです。政治をやるには心の中で、人間の幸せだとか幸福だとか平和だとか、いわゆる理想を持っていなければいけないというので文化を嗜むわけです。例えば浦上玉堂(うらかみぎょくどう)という人がいるのですが、この人は岡山の池田藩の支藩・鴨方藩の家老でした。家老でありながら詩を作ったり、琴の演奏をやったりして、その中で絵も描いていくという。だからプロの絵ではないですが、非常に豊かと言いますか、情感豊かな絵を描く。私は玉堂のそんなところが大好きですね。





作品の「解釈」を巡って

大山:

私は今まで、演奏する作品の解釈について突き詰めて極めようと思ってやってきましたが、最近はなんというか、感覚的にエンジョイできればそれも音楽じゃないかと思っています。例えば最近取り組んでいるジャズなどは自由さってものが演奏に現れないといけないわけです。ですから全くクラシックとは違う世界で、味を占めだしたというか。

佐々木:

なるほど。すると、やはり即興演奏というのはクラシックではあり得ないわけですね?

大山:

ないですね。我々は、作曲家の意図したものを再現する、再現芸術家という位置付けです。ですから全てがその作曲家の意図の上にあって、そこにプラスアルファだったらいいわけですが。最近、まあ最近というかいつでもなんですけども、作曲家が書いた意図を汲まず、その音を使って自分のテクニックを見せるだけということがよくあります。

佐々木:

同じような現象が、我々の美術の歴史の世界でも同様にあります。一幅の絵があれば、それを描いた人、画家が厳然といるのであって、それを描いた人のいわば思想がありますよね。ところがそれをほとんど無視して、もう見る自分の感性だけで解釈していく。美術の解釈っていうのはそれでいいのだという考え方が今はものすごく強くなってきています。

大山:

なるほど。

佐々木:

我々が若い頃は、やはり厳然と作者ってものがいると。だからその作者の想いや動機にどうかして客観的に近づけないかということを大切にしていた。ところが今はそんな面倒臭いことは必要ないじゃないかと。作者がどう思おうがですね、それはもう…

大山:

見る人の主観でいいと。

佐々木:

そう、主観でいいじゃないかということが随分多くなったと思います。

大山:

逆に言えば、何が本物であるか、そうでないかっていう区別がつきにくくなってきていますね。

佐々木:

一方作る側も、もうそのようなことは放棄してしまって、とにかく感性で描いて、あと解釈は見る人に任せる、といった傾向も強くなっています。

大山:

一方音楽では、作曲家が意図していなかった解釈を演奏家が示して、作曲家自身に素晴らしいと感じさせることもある。それができた演奏家は本当に幸運ですね。

- 作者と解釈する人の関係、これは美術でも音楽でも解決しない永遠のテーマと言えますね。

聞き手:Music Dialogue 出口・倉坂




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[日  時] 2017年6月24日(土)17:30開演
[会  場] 京都国立博物館 平成知新館地下1F 講堂
[曲  目] メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番 二短調 作品49
      ブラームス    ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調 作品60
[出  演] 酒井有彩(ピアノ)、伊藤真奈(ヴァイオリン)
      大山平一郎(ヴィオラ)、加藤文枝(チェロ)